
ABOUT TAKAGENご挨拶
銀座タカゲンは、明治15年(1882年) 銀座にて日本で最初のステッキ専門店として創業。創業以来、伝統を守り信用第一に商いをしてまいりました。
スネークウッド、大民藤、黒檀、紫檀など高級輸入素材、樫や楓など国産素材、女性に人気のリングをあしらったカラフルなステッキなど、熟練した職人の手で一本一本丹念に仕上げております。さらにアニマルモチーフの変わり手元、軽量のカーボン素材や折りたたみステッキなど新しい商品も数多く取り揃えております。ステッキにお名前を入れたものは、贈り物やご長寿のお祝い品にもご好評いただいております。また、当店でお買い求めいただいたステッキについては、お気に入りの品を末永くご愛用いただけますようお直しも承っております。
丹精込めたステッキの数々を、お手にとっていただければ幸いでございます。
- 明治15年
- 三越、伊勢丹、和光、その他都内及び地方百貨店、宮内庁、日本銀行、日本工業倶楽部 等
- 明治15年1月12日
現在地(中央区銀座6−9−7)に高橋源蔵刀剣類古物商を創業。高橋商店と称す。廃刀令施行以後、ステッキ・洋傘及びショールの小売商を営み、横浜にて貿易をする。
- 大正12年9月
関東大震災により店舗焼失。翌年3月店舗再開。
- 昭和11年5月
当時の傷兵保護院後の軍事保護院より戦傷者及び同失明者に対し、“戦傷奉公杖”を贈ることについて特命受注製作にあたる。
- 昭和15年7月
軍事保護院の統合廃止に伴い陸軍省より新たに戦傷者保護杖の設計製作を依頼され、彫刻家故日名子実三氏作”荒鷲”を握り部分に取り付けた奉公杖を特命受注し、通し番号を刻印し、終戦まで製作する。戦傷者に対しては茶褐色、失明者に対しては白色の棒を取り付ける。
- 昭和16年3月
海軍省より海軍関係戦傷者用杖の製作を依頼され、同じく故日名子実三氏作の”錨”の形を半分にした型を握りの部分に取り付けた杖を特命受注し、終戦まで製作する。
- 昭和20年5月25日
戦災により店舗焼失。
- 昭和21年4月
営業再開。
- 昭和24年10月
高橋商店を会社組織に改め、株式会社タカゲンと称す。
日本で最初のステッキ店の誕生秘話
タカゲンは元来ステッキ屋ではなかったのです。 先祖代々、芝日蔭町通りで常磐屋という刀剣商を営んでおりました。当時は諸大名へお出入りしており、特に仙台様が一番のお得意様であったそうです。
明治9年(1876年)廃刀令により、刀屋では商売にならず、持ち合わせていた多くの刀を処分するため、刀職人でもあった髙橋源蔵が試行錯誤の末、刀を仕込んだ仕込み杖を考案しました。大和杖と名付けた仕込み杖は珍しいためか、交易を行っていた横浜の舟商人に良く売れたそうです。その時、英国人が洋杖を手に闊歩する姿を初めて目の当たりにした源蔵は、洋杖に惚れ込んだというわけです。明治15年(1882年)1月、尾張町2丁目、現在の銀座6丁目に移転、ステッキと洋傘の専門店「髙橋商店」として創業、明治の文明開化と共に、伊達男が身につけるハイカラなアイテムとして広まったステッキの発信源の店となり
ました。
「ステッキ」の名付け親である源蔵。洋杖「Walking stick」(スティック)の発音を聞き間違え「ステッキ」と呼び、これ以降日本では「ステッキ」という名前が定着したと伝えられております。
- 三越日本橋本店
- 三越高松店
- 三越松山店
- 三越馬事公苑店
- 三越旭店
- 伊勢丹新宿本店
- 伊勢丹立川店
- 伊勢丹浦和店
- 伊勢丹相模原店
- 伊勢丹府中店
- 伊勢丹新潟店
- エムアイプラザアミューあつぎ
- ひつじやサロン(広島市中区)
- 青山整形外科クリニック
- 麻布十番整形外科
- 有栖川整形外科
- 医療法人財団 百葉の会 銀座医院
- 銀座リハビリテーションクリニック
- 一般財団法人 小松診療所
- 医療法人社団 白峰会 白金クリニック
- 東京ひざ関節症クリニック
- 医療法人 全医会 東京腰痛クリニック
- 目黒さこだ整形外科
- 祐天寺整形外科クリニック
- リバーシティすずき整形外科